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Saturday, April 29, 2023

【話の肖像画】裏千家前家元・千玄室<28> お茶は人を整え自然と一体になる - 産経ニュース

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誕生日恒例、西宮神社での献茶式で。この日、100歳を迎えた=兵庫県西宮市

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《令和5年4月19日。兵庫県西宮市の西宮神社で献茶式が営まれた。先の大戦の戦災から社殿が復興したことを祝い、昭和37年に父の14代家元淡々斎とともに献茶式を奉仕。家元を継承後、46年からは誕生日に毎年、献茶を続けてきた。今年は100歳記念とあって大勢の関係者が詰めかけた》

「先代の後ろ姿を見つめて20年」といいます。私も20年とはいきませんでしたが十数年、若宗匠時代に父の後ろ姿を見ていろいろなことを学びました。「半東(はんとう)」といいますが、父の後ろに控えて手伝いをする役を務め、両脇に手をついて膝行(しっこう)するものですから、両手の指の関節にはタコができました。これは私の努力の証しだと思っています。

当時はひたすら父に教えられたことを吸収する日々でした。ところが40代になって父が亡くなり家元を継承しますと、少しずつ疑問がわいてくるようになります。学んだり試したり、悩むこともありましたが、結局は自分で判断するしかありません。少し余裕ができたのが50代になってからで、自分の茶の道というものに相対することができるようになりました。

茶道に限らず芸道には「守破離(しゅはり)」があるといいます。師の教えに従い型を身に付け(守)、そこから発展し(破)、自分だけの新しいものを創る(離)ということです。振り返りますと私は徹底して「守」をしてきたおかげで、その後の「破」「離」に進むことができたのだろうと思います。

《茶道を語るときそれはしばしば哲学となり芸術ともなる》

お点前とは何かと聞かれることがあります。なぜ一碗(わん)のお茶をいただくのに難しい手順があるのかと思われるのも当然かもしれません。気楽にお茶を点(た)て、人に勧めて自分もいただく、道具も自由に拝見する。でもそれではただお茶をいただくだけで終わってしまうのです。

お茶一碗をおいしく点てる、おいしくいただくのにも「所作」があります。決まったルールです。これを身に付け、その通りにすると粗相も少なく、主客のつながりもよい具合になります。まことに理にかなっているのです。互いに心を通わせ、その奥深さを求めるためにはやはり、「道」としての茶の在り方というものを知っていただかねばなりません。茶道は「実践道」でもありますから、お茶という道を志すことで、人は茶道を通したものの見方というものを身に付けることができるのです。

例えば今まで気づかなかった日常の「美」に気づき、理想を求め究めようとする中でまた、新たな発見をすることでしょう。そうした積み重ねは人間に幅と余裕を与えてくれます。相手の立場になって考えたり、自分と異なる考え方も受け入れられたりするようにもなるでしょう。お茶は人を整えるのです。

《一碗に、緑の地球がある》

よくいうのですが、お茶の緑、グリーンは自然です。丸いお茶碗に入ったお茶は、地球の中の自然なのです。地球に感謝して、それをいただく。ところが最近、人間は随分、地球を粗末にしています。感謝を忘れているのです。ですから、お茶をいただくときは地球に住まわせていただいていることに感謝し、自然と一体となっている、そんなふうに感じてほしいと思います。

とはいえ、お茶席で足が痛くなったらどうぞ、あぐらになさってください。お茶をいただくときだけ、正座をすればよろしいのです。お茶は決して堅苦しいものではありません。清められた茶室で、感謝の心を持ち、ゆったりと一服を楽しめばよいのです。(聞き手 山上直子)

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