静岡市の中心部。静岡浅間神社の少し南側に茶町と呼ばれるエリアがある。この町を貫く茶町通りは、古くから日本一の茶どころである静岡の茶問屋の集積地だ。前田冨佐男さん(63)は、この通りに面する茶問屋、前田金三郎商店の3代目。お茶を使ったスイーツやカフェなどにも進出し、生まれ育った静岡のお茶産業の活性化、お茶のさらなる消費拡大に奔走している。
新しい取り組み
ここは祖父が創業した茶問屋、前田金三郎商店です。私はここに「茶町KINZABURO」という小売店とカフェを併設する新しい取り組みを進めています。茶問屋は小売店向けにお茶を供給しますが、ここでは消費者向けにお茶を使ったスイーツなども販売。2階のカフェではハーブをブレンドしたフレーバー緑茶などが楽しめます。
茶町には、茶問屋がたくさんあります。ここは徳川家康公が晩年を過ごした駿府城の歴史ある城下町で、90を超える職人町が存在したといいます。今も60以上の地名が残っており、茶町もその一つです。
私はここで生まれ育ちました。静岡は今でいうコンパクトシティーで、新幹線の駅やデパート、役所も近くに集まっており便利です。温暖な気候、海や山にも恵まれ、住みやすい。ただ、高校卒業後は東京の大学に進学。大学卒業後は簿記学校に通うなど、4年半だけ静岡を離れました。
東京には刺激があります。しかし、住むのは静岡がいい。将軍職を降り、好きなところに住めた徳川家康が、晩年を過ごす場所として選んだのもわかるような気がします。
創意工夫で活性化
静岡には、家業の茶問屋を継ぐために戻りました。そうした場合、どこかに修業に出るのが慣例。てっきり父が修業先を決めていると思っていました。が、父は「そんなの知らない」と。そこで、まずは市内の雑貨店に就職しました。
そこはセンスがよく、新しいものや面白いものを積極的に仕入れる静岡では有名で先進的な店。文具などの販売や仕入れなども含め、さまざまな業務を任されました。創意工夫で売り場を活性化することが体感でき、いい勉強ができました。この経験は、その後も大いに生かされています。
折しも、お茶の消費量は減少傾向にあります。人口減少やペットボトル飲料の普及など、いろいろな要因がありますが、お茶の持つ魅力、消費者のニーズを再認識し、お茶関連産業を活性化するとともに、お茶の街をもっと元気にしていくことが求められます。「茶町KINZABURO」の人気スイーツ「茶っふる」も、そんな試行錯誤の中から生まれました。
お茶の見直し
お茶を観光にも活用しようと、名産の栗を観光資源化している長野県の小布施を視察したことがあります。その際、街中に漂う焼き栗の香りにみんなで酔いしれ、「静岡にはこういうのがないんだよな」と。ところが、戻って大学生を茶町に招くと、大学生らはみんな「茶のいい香りに感動した」といいます。思い起こせば、子供のころ遊びに来た友人にもよくそう言われました。そこで気づきました。われわれはお茶を焙煎する香りを意識してなかった、と。
身近な富士山もそうですが、茶町にいるとお茶の香りは日常であり、特別なものではありません。ところが、外からは違ってみえるということでしょう。
いろいろなお茶をブレンドし、香りや水色、味を整えて商品化するのが茶問屋の腕の見せどころ。茶町は安倍川上流部などの香り高い〝山のお茶〟や牧ノ原台地、島田、掛川などのうまみが多い〝里のお茶〟が街道を通じて集まりやすく、400年以上も茶問屋の街として栄えてきました。
折しも、新型コロナウイルス禍などで大きく揺れ動いた世界も、いよいよ普段の日常を取り戻しつつあります。日本人の生活にあって〝あたりまえ〟の日本茶ですが、あたりまえの日常のありがたみを実感できる今だからこそ、お茶を見直していただきたい。そんな思いで、茶町の挑戦を続けていきます。(青山博美)
まえだ・ふさお 昭和34年、静岡市生まれ。慶応大法卒。実家である茶問屋「前田金三郎商店」の3代目となる代表取締役。平成2年の全国茶審査技術競技大会(闘茶会)や、14年のテレビ東京「TVチャンピオン第1回お茶通選手権」などで優勝。
からの記事と詳細 ( 【令和人国記】「お茶の街をもっと元気に」 茶どころ・静岡市出身 茶問屋の前田冨佐男さん(63) - 産経ニュース )
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