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Saturday, June 5, 2021

バスケ元日本代表、コーヒー店員に転身 引退の石崎巧、希望の再出発 - 福井新聞

sagutgu.blogspot.com

2021年6月5日 午前11時45分

仁川アジア大会のイラン戦で得点機を探る石崎巧=2014年9月、三山ワールド体育館

仁川アジア大会のイラン戦で得点機を探る石崎巧=2014年9月、三山ワールド体育館

 「やり尽くせた」と納得できるバスケットボール人生だった。現役引退を6月1日に発表したBリーグ1部琉球の石崎巧(36)=福井県福井市出身=が4日、プロの第一線で戦い続けた歩みを福井新聞の電話インタビューで振り返った。今後はコーヒー店員に転身すると明かし、競技同様に「好きなことを突き詰めたい」と再出発を見据えた。

 鋭い戦術眼を武器に北陸高校、東海大学で日本一を経験し2007年、ポイントガードとして旧日本リーグ東芝でプロ生活が始まった。「転換期になった」のが13年から在籍したドイツ1部リーグ。練習生から出場機会を勝ち取りプレーオフにも出た。「技術も考え方も価値観を広げてくれた」。14年の仁川アジア大会では日本代表主将として銅メダル獲得に貢献。しかし「目標は(日本の)五輪や世界選手権出場。満足感はなかった」。貪欲に高みを目指した。

 琉球ではキャリア最長の4シーズンを過ごした。出場は減ったものの、最年長の背番号「0」は「ザキさん」の愛称で選手、ファンから愛された。ベンチ端の定位置に座ると、誰よりも大きな身ぶりで味方の得点を喜んだ。「チームが少しでもポジティブな方向に進むように」。コート外でも役割を追い求めた。年齢による衰えは否めず、昨年末ごろから引退を意識した。

 第二の人生はコーヒー店で過ごす。遠征先で店舗を巡るのがライフワークで「心を豊かにしてくれる空間だった」。近年出合った、愛知県名古屋市にある個人経営の店に就職を願い出た。

 距離を置きつつバスケ界のことも見守る。「レベルの底上げは感じるが海外との差はまだ大きい。ジュニア世代から日本独自の育成システムが必要だ」と持論を語る。

 監督だった母に誘われ福井市啓蒙小学校1年で地元クラブに入った。同校、大東中学校時代に全国大会へ出場。北陸高校3年時には主将として全国高校総合体育大会で14年ぶりの優勝に導いた。「中学も高校もあまり楽しむ余裕はなかった」と苦笑する。厳しい日々が土台を築いた。福井でバスケに打ち込む子どもたちにメッセージを送った。「スポーツの結果は思い通りにならない。だからこそ楽しい。自分の世界を広げてくれると信じてほしい」

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