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Saturday, May 28, 2022

鎌倉時代のお茶は薬?はたまたドラッグ!? 精神性の追求のルーツ[茶道のルーツを探る②]|Pen Online - Pen Online

sagutgu.blogspot.com

日本の伝統文化の代表格ともいえる茶道が、どのような過程を経て日本文化としてのオリジナリティを獲得し、時代や流行に合わせて進化して来たのかをたどる本連載。第一回では、輸入文化としてのお茶が日本入ってきた、鎌倉時代の禅僧・明庵栄西の活動と時代背景を紹介しました。第二回となる今回は、現在とは全く違う鎌倉時代のお茶の位置付けについて。宗徧流11世家元、山田宗徧のナビゲーションでお送りします。

宋に渡った栄西が日本に持ち帰ってきた最新のライフスタイルのひとつが喫茶です。鎌倉時代に編纂(へんさん)された幕府の歴史書『吾妻鏡』には、二日酔いに悩まされていた時の権力者・実朝が、栄西に茶を勧められて飲んだところ、頭がすっきりしたという記述があります。

栄西はその後、茶の効能についてまとめた『喫茶養生記』という本を実朝に献上し、喫茶文化の普及をはかっています。まずはトップに試してもらい、メディアを使って普及させていく。栄西はマーケティングのセンスが抜群でした。

体にいい「薬」から日常のライフスタイルへ

南米産のカカオは紀元前3000年頃から精神的効果をあげる飲み物として、コーヒーは900年頃から消化、強心などの効果ある薬としてアラビアで使われていたという記録があります。ペルーのシャーマンのカカオセレモニーを体験したことがあるのですが、地域ごとに精神に働きかける植物があり、それらを使った儀式や文化が生まれているそうです。

どちらも、飲み物として飲むことが広まったのは16世紀頃のこと。このように、新しい食材や飲み物には、最初は身体にいい薬として紹介され、段々と日常へとライフスタイルに落とし込まれるものがたくさんあります。

実は抹茶もその一つ。抹茶一碗のことを、一服というのも、薬として服用した名残なのです。

『喫茶養生記』によると、中国でお茶を飲みだしたのは唐時代。お茶の木はいまの雲南で自生していたものだといいます。

精神性を追求するドラッグのような存在?

この本には、茶を飲むと羽化登仙(中国古来の神仙思想などで,人間に羽が生えて仙人になり天に昇ること。また,酒に酔ってよい気分になることのたとえ)する気分になるため、功績ある臣下に授けたとあります。

いい抹茶を飲むと舌先がピリリとした感じになることはありますが、私も天にのぼる心地になったことはありません。現代人と違い、身体に化学物質が入っていなかった唐代の人には、ドラッグのような効果があったのでしょうか。茶道が精神性を追求するようになったのも、脳に働きかける作用が含まれていることが理由にあるのでしょう。

マンガ『アキラ』の世界では、薬を投与されるのは選ばれた人でした。同じように、茶を授与されることは、皇帝から目をかけられているという証拠。自己肯定感を高めるものだったと考えられます。

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粉にして飲む抹茶はイノベーション

茶というのは、葉にお湯を注いで煎じて飲むのが一般的です。本来は茶の木から採るから「茶」と呼ばれるのですが、最近は茶以外の植物を煎じたものを茶と呼ぶことも一般化しています。先日、フキノトウや紅花、黒文字などを茶にして出すイベントを体験して、茶として煎じて飲む植物が想像以上に多いことを知ったのですが、お湯を注いで煎じるという飲みかたは共通しています。

ところが、そうではない画期的な茶の飲みかたのイノベーションが唐から宋の間におこりました。茶葉を臼で挽いて粉にした、いまでいう抹茶が開発されたのです。同時に、粉にお湯を注いだ後にかき混ぜるための道具が、竹でつくられました。茶筅です。

普通、茶葉は煎じたあとに捨てられますが、茶葉を臼で挽けば、葉茶の成分をすべて摂取することができます。当時の人のお茶にかける情熱が、人々を新しいお茶の飲み方の開発にむかわせ、抹茶が生み出されたのです。

宋の皇帝は茶を好み、最良の茶を家臣に与え、茶を使った儀礼が朝廷内に生まれました。

都市には茶を飲ませる茶坊や茶肆などの茶館が現れ、名人の書画を飾り、四季の花を挿したりして集客をはかっていました。いまのカフェがインテリアで個性を出しているのと同じです。

鎌倉でも、コーヒーロースターやカフェ、間借りのコーヒー屋などコーヒーカルチャーが盛んになり、それぞれ個性を発揮していますが、そんな様子をみながら、宋の茶坊や茶肆も同じような感じでセンスを競っていたのではないかと、想像しています。

禅寺には寺なりの茶の儀礼がありますが、栄西は寺だけでなく、このような宋の茶文化を体験し、その一端を日本に伝えようとしたのでしょう。

時々「茶道というのは鎌倉時代からあった文化なのですか?」ときかれたりすることがあります。栄西が『喫茶養生記』を書いたからか、一部では鎌倉時代から茶道が確立していたと思われているのかもしれません。でも栄西の頃は、ようやく「お茶という新しい薬があるらしい」という認知が始まったばかりというのがリアルなところ。茶道誕生までには、まだまだ時間がかかるのです。

鎌倉時代のお茶は薬?はたまたドラッグ!? 精神性の追求のルーツ[茶道のルーツを探る②]

  • 文:山田宗徧

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1966年、鎌倉生まれ。上智大学在学中の21歳の若さで、父の去にともない宗徧流十一世家元を継承。同年南禅寺で得度を受け、幽々斎の号を授かり、1990年24歳で十一世宗徧を襲名。現代的な感性で現代美術や映像、都市文化への造詣が深く、ベルナルト・ベルトルッチやピナ・バウシュ、ロベルト・マッタの来日時には茶室に招き、交流を持つ。著書に「宗徧  イップクイカガ」 2000年レゾナンス 、破壊 の流儀 不確かな社会を生き抜く“したたかさ”を学ぶ (2010年アスキー新書)

1966年、鎌倉生まれ。上智大学在学中の21歳の若さで、父の去にともない宗徧流十一世家元を継承。同年南禅寺で得度を受け、幽々斎の号を授かり、1990年24歳で十一世宗徧を襲名。現代的な感性で現代美術や映像、都市文化への造詣が深く、ベルナルト・ベルトルッチやピナ・バウシュ、ロベルト・マッタの来日時には茶室に招き、交流を持つ。著書に「宗徧  イップクイカガ」 2000年レゾナンス 、破壊 の流儀 不確かな社会を生き抜く“したたかさ”を学ぶ (2010年アスキー新書)

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