丸七製茶は日本茶の付加価値を高める
静岡県は言わずと知れたお茶の一大産地。しかし、国内全体の茶の生産量は世界全体の2%にも満たず、海外勢との価格競争が懸念される。こうしたなか、製茶・栽培・流通などを手がける丸七製茶は日本茶の付加価値を高めようと独自の取り組みを進めてきた。10年ほど前からは8代目社長の鈴木成彦氏のアイデアで、地元産の抹茶を使った菓子づくりに挑む。
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<碾茶(てんちゃ)の栽培方法に着目>
静岡県でお茶の栽培が始まったのは鎌倉時代中期。中でも、藤枝市の山間地にある岡部町は「玉露の3大産地」と呼ばれ、明治には生糸とともに日本の2大輸出産品として日本の外貨獲得にも貢献。1899年に清水港が国際貿易港として開港すると、県内からの輸出も始まり、地域産業も大きく発展。丸七製茶は、農家から直接茶葉を買い付けるブローカーとして1907年に創業した老舗である。
高度経済成長期に入ると生活水準の向上に伴って、お茶の消費量も増加。製茶産業は再び成長期を迎えた。海外への輸出を主に行っていた丸七製茶は、国内需要にも対応することで業容をさらに拡大することとなる。
一方で、岡部町で栽培されていた玉露は「時間をかけてお茶の成分を抽出し、ゆっくりと味わって飲むことが醍醐味。簡便さこそが豊かさの象徴であった当時、贈答品以外での需要は少なかった」(鈴木氏)。また、岡部町の玉露は宇治玉露にブレンドして使われるのが主流だったが、産地表示ルールの改定に伴い、その土地のもの100%でなければ産地名を名乗ることができなくなってしまった。需要の変化と製茶業界のルール改定によって、岡部町での玉露生産は衰退し始め、生産者からも「岡部で玉露を作るのは無理だ」と悲鳴が上がるようになった。
産地を取り巻く厳しい実情を前に、鈴木氏は、玉露の栽培方法と抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)の栽培方法が似ていることに着目。「静岡でも碾茶づくりを始めてはどうか」と地元の農業協同組合に持ちかけた。これがきっかけとなり、1988年に藤枝市は碾茶の生産に乗り出す。
<立ちはだかる「産地」の壁>
ところが、碾茶の栽培が藤枝市で始まると、京都の宇治抹茶の強力なブランド力が立ちはだかる。地元の製麺メーカーや飲料メーカーにも抹茶を売り込み、関連商品の開発を提案したり、「食べるお茶ブーム」を背景に自社商品にも抹茶を積極的に採用するなどの策を講るも、状況は改善せず、自社には大量の在庫が残ってしまった。
転機が意外なところから訪れた。何とか苦境を打破しようと参加したある展示会で、鈴木氏は食品メーカーの悩みを耳にする。当時、徹底的に殺菌処理を施した抹茶は少なく、乳製品や生菓子に使用した時、ごくまれに菌が繁殖してしまうことがあるというのだ。抹茶を使った商品は幅広い世代からのニーズが見込めるものの、こうしたリスクがネックとなり、抹茶の使用を控える企業も多いという。そこで丸七製茶は、抹茶の殺菌処理装置を導入。安全性を担保した抹茶製造をアピールすることで、多くの食品メーカーで岡部町の抹茶使用に道が拓けた。
地道な努力の甲斐あって、首都圏のメーカーでは「岡部の抹茶」の名は広まっていったものの、県内での認知度はいまひとつ。地元の菓子メーカーでの採用を拡大し、知名度を上げようとしても「宇治の抹茶しか買わない」と断られ続けた。そこで「岡部の抹茶を使う菓子を作ってくれないのなら自分たちで作ろう」(鈴木氏)と、10年前に始めたのが、自社ブランド「ななや」による菓子製造だ。
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April 04, 2020 at 10:09AM
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